こんにちは。デジタルハリウッドSTUDIO新宿スタッフです。
今回は5月から6月にかけて開催された「 ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2025 」(以下SSFF&ASIA)アニメーション部門にノミネートされた今村さんをご紹介。
なんと今村さんは現在51歳!CGを始めようと思ったきっかけや、今後の展望について深掘りしました。

今村 誠人さん
本科CG/VFX専攻 学び方A
修了
今まで音楽制作歴30年。バーチャルシンガーへの音楽提供というプロジェクトで、自身でアバターを作ろうとblenderを触り始めたところ、CGの制作の魅力に憑りつかれ、もっと技術を磨きたくなりデジタルハリウッドに入学する。卒業後は、Studio Attractionを立ち上げ、映像制作、アセット販売などを行う。
音楽以上に好きになれるものがあったとは~バーチャルシンガー用のアバターを作りたい!から始まったCG制作~
ーもともと音楽制作をされていたんですよね。
自分が10代の頃は空前のバンドブームだったので3人に1人くらいは音楽をやってましたね。高校を卒業してある程度辞めていって、20歳を超えてまた辞めて、30歳くらいでまた辞めて、当時夢を語り合っていた仲間はもうほぼいないですね。
ーそんな中30年続けられたんですよね。
ギターからスタートして、一度少し離れたのですが久しぶりにPCをいじってみたらDTMがすごく進化していて、1人でこんな立派な音楽が作れちゃうんだ、と思ってPC中心の制作に移行していきました。
ーそこからバーチャルシンガーに興味を持ったんですね。
DTMで理想の音楽ができるようになって、年齢的にも自分が表舞台に立つのは違うかな、と思い始めたんです。バーチャルシンガーを作ってその人が歌っていることにすれば 年齢も関係ない し、音楽をずっと続けていけるんじゃないかと思って。
ーそこで自分で作ろう!になるのがすごいです。
やってくれる人がいなかったんですよ。音楽は好きでずっとやってきたけれど生計を立てられるような活動はできていなかったし、仲間はどんどん減っているし、昔からのミュージシャンなのでアナログな人が多くてパソコンをいじれる人もほとんどいなかったです。
なのでバンドをしていたときも、
自分でHPを作ったりMVを作ったり
していました。
これではみんなと同じになってしまう~一歩抜きんでるために選んだスクールに通うという道~

ーバーチャルシンガーはどうやって作り始めたんですか?
VRoid Studioというソフトから始めました。簡単にはできたのですが、ミュージシャンとして育てていくにあたって、ぱっとできたものではお金は取れないんじゃないかという感覚があり、blenderに手を出しました。
VRoid Studioで作ったものをblenderで改変している人たちがいると知ったのがきっかけですね。
もともと凝り性なところがあったので、1年くらい経つ頃には上達してるなという実感があって、もしかしたらCG制作向いてるのかもと思いました。
ーそこからCG制作の方にのめり込んでいったんですよね。
もともと音楽を歌わせるために作っていたはずなのに、
歌ってそうな人を作らないといけない制限がある
ように思えてきて、
もっと自由に作りたい
と思うようになりました。
あんなの作りたい、こんなの作りたいってやっているうちに音楽を始めた頃と同じような集中力が久しぶりに出たんです。
CGに出会うまでは、音楽以上に好きになれるものはないと思っていました
。
ースクールに通うに至ったのはどうしてなんですか?
アバターを売っている人っているじゃないですか、音楽から離れてアバターを売っていったらいいんじゃないかと思い始めたんですよ。
実際に販売できるところまで来ていたんですが、そこで「ちょっと待てよ?」と思いまして。
1年独学でやって、他のアバター販売をしている人と同じくらいのクオリティにはできていると思ったのですが、それじゃあ
みんなと一緒
だな、と思って。注目を集めて売れるようなアバターを作るには
一歩抜きんでないと、普通のことで終わってしまう
と思ったんです。
ーそこで本格的に学習しようと思ったんですね。
有料の動画教材を買ったりしながらお金に糸目をつけずにやっていく中で、スクールも調べてみて、まずは話を聞くだけでも聞いてみようと来たのが始まりでした。
夢に向かう仲間がほしかった~世代は違えど高めあえる関係構築~
ーそうしてデジタルハリウッドに通っていただくこととなったわけですが、正直20代から30代の方が多いコースですよね。クラスメイトとの交流はどうでしたか。
いや、もう楽しかったですよ。
若い人は若いというだけで繋がりがあるじゃないですか。昔の仲間とか、バンドを始めたばかりの頃なんかは、夢に向かって「俺はこれをこうやっていくんだ!」みたいな話をする仲間がいました。
でもこの歳になってくると、もういないなってすごく思っていたので、そういう
仲間がほしかった
っていうのも大きいと思います。
ー飲みに行ったり仲良くされていた印象があります。
CGの知識で言うと同列か俺の方が下になるんですよ。だから
純粋に尊敬
しながら「それどうやってるんですか」とか聞いたりしていて、こちらとしては年齢は全然気にしていなかったです。
若い人の柔軟な考え方だったり、自分の知らないことだったり、聞きたくて聞きたくてしょうがない。中々知り合えないじゃないですか。
いい意味で
負けないぞ、いいもの作るぞ
って気持ちはあっても、プライド的なものはなかったですね。
とてもいい関係を築けていたと思います。みんなもそう思ってくれていたらいいですけど。
卒業した今でも連絡を取って飲みに行ったりしますよ。
調べられるだけ調べてから聞く~その過程で得られる情報も武器にしていく~

ー受講していく中で苦労したことはありますか。
やっぱり時間的なところですかね。
blenderからMayaにソフトが変わって、慣れてきたところで静止画課題が出て、できたと思ったら2ヶ月後くらいにアニメーション課題が出て、立て続けに気が抜けないような感じでした。
今思えば1年で習得するコースなんだからそりゃあ当たり前なんですけど、入った当初は分かっていない部分がありましたね。
ーアニメーション課題を乗り越えられるかどうかが大きいですよね。
そうですね。松尾先生の言葉で印象的なことがあって、作品の進捗を見てもらうときに誰かが言ったんですよ、「時間がなくて」って。
そのときにピンって反応する感覚があって、「時間がないのはみんな一緒。仕事をしながらの人もいるんだから」って。優しい言い方してるけど、
時間がないっていう言い訳はよくない
んだなと思って。
ー今村さんもお仕事されながらでしたよね。
仕事に出るのが朝7時くらいなんですけど、4時に起きて2,3時間やって、仕事から帰ってきてまた2,3時間やって、という生活をしていました。
仕事は週2,3日休めるようにしていましたが、休みの日も4時に起きてやってましたね。
仕事を言い訳にしたくなかった
です。
自分でやると決めた
ことですしね。
大好きなことでしたし。
ー事前にお願いしていたアンケートで「調べるだけ調べてから聞く」というのが印象的だったのですが、それはこだわっていたところですか。
自分がある程度分からないとうまく質問もできないじゃないですか。どう質問していいかも分からない、みたいな。
仕事柄授業外で校舎に行くことが難しかったので、次の授業で聞くより自分で調べた方がはやいというのもありました。
調べていると他の情報も入ってきて
、その情報が後々役に立ってきたり、自分で調べたからこそ身に付いたりしたこともありますね。
最終的にどうしても分からなかったら先生に聞こう、というのがあったので
ここまでは自分で解決できなきゃいけない
な、と思いながらやっていました。
人が作らないものを作るしかない~自分が作る意味があるものはなんなのか~
ーSSFF&ASIAにもノミネートされた卒業制作の着想について教えてください。
まずメリーゴーランドを作ろうと思ったんです。あれを回したら立派なアニメーションになるぞと思って。で、自分がおじさんだからこそおじさんを作った方がいいんじゃないかと思ったんです。今までアバターを作っていたので、かっこいいキャラ、可愛いキャラを作りたい願望はあったんですけど、 あえておじさんを作ろう と思ったのがスタート地点でした。
ー題材があってストーリーを考えたんですね。
他の人に負けたくないっていう思いが強くて、人が作らないものを作るしかないと思ったんです。たぶんみんな、SF的なものとかアクション的なものとか、そういった派手なものを作ってくるだろうなと思ったんですけど、
同じようなものを作ったら若い子たちに勝てない
んですよ。
だったら自分が今まで見てきたものにしようと思って、CGなんだけどフィルム映画っぽいテイストにしました。だったら
今の自分が作る意味がある
かなと。
ーある種新鮮でしたよね。CGで表現するって選択肢があるんだ、というか。
SSFF&ASIAの司会の方にも言われました。「今まで送られてきたCGの作品とは違うよね」と。
もともとは
クラスの中で印象に残るにはどうすればいいか
、ということだけを考えて作っていたので、なんでノミネートされたのかいまいち分かっていなかったのですが、印象に残るという部分だったのかなとお話を聞いて思いました。
賞を取るために頑張っていたのに忘れるくらい夢中になっていた~ノミネートされてから気づいたSSFF&ASIAの素晴らしさ~

ーSSFF&ASIAに応募したのはどういったきっかけだったんですか。
デジタルハリウッドからのお知らせで知って、 応募できるものは全部しておこう と思っていたので応募しました。
ーもともとこの映画祭のことは知っていたんですか。
応募したときは大して見ていなくて、上映作品に選ばれたときも、俺の作品が選ばれるなんてそんな大きな映画祭じゃないんだろうなと思っていました。
でもある時、ちゃんと調べてみようと思って見たら入学前後くらいのときにYouTubeで見ていた映画祭だったと気づいたんです。
Origami(デジタルハリウッド大学卒業生作品)が上映されていたのを知っていて、別所哲也さんが代表を務めていらっしゃって、
こんなところで上映作品に選ばれたらすごいだろうなぁ
、って他人事のように思っていたんですよね。
ーまさか1年経って自分が出ることになるとは。
入学したときは賞の1つや2つ取ることを目標にしてたんです。でも卒業制作に取り組んでいるときくらいですかね、賞のことなんてどうでもよくなってて。
貪欲に賞を取るために頑張ろうって思っていたはずなのに、それが
どうでもよくなるくらいに制作に夢中
になっていたんですよね。
余計なことを考えられるようなスケジュールでもなかったし、それくらい夢中になることが大切だったのかな、と思います。
ー実際に登壇してみてどうでしたか。
あまり実感がないんですけど、自分の作品が出られる可能性があったっていうことが嬉しいです。
来年はもっとすごいのを出してやろう
、としか思ってないですね。
死ぬまでに一本映画を作りたい~漠然と抱いていた思いを叶えるとき~

ー登壇されたときもおっしゃっていましたが今後も作品制作は続けていかれるんですよね。
「SSFF&ASIA」や「WHO'S NEXT?」のようなコンテストがあるじゃないですか、それを目標に作品を作り続けていこうと思っています。
スクールの課題の提出期限みたいな感じで、
コンテストを提出期限にして絶対にそこまでに作る
ぞ、という感じですね。
期限がないといつまでも作れちゃうじゃないですか。このコンテストに毎年絶対に出す、とか決めてやれば完成させられるよなって。
ー屋号も作りましたね!
アセット販売をしていこうと思っています。
もともと自分で起業して、アバター販売をできたらなとは思っていたんですが、スクールに通って大きく変わったのは
アバターだけでなくて建物を作ったり、アニメーション全体を作ったりするのも好きになった
ことですね。だからアセット販売。
ただ、そのアセットもコンテストに出すようなアニメーションを作る過程で制作したものを販売しようと思っていて、アニメーション作品がアセット販売の広告にもなればいいなと思っています。
ー今後の展望を教えてください。
昔から
死ぬまでに一本映画を作りたい
と漠然と思っていたことがあって、CGで映画を作るなんて大変なことをする人もいるなぁと思っていたこともあるんですが、いずれやりたいですね。
1人で長編は難しいかもしれないけど、ショートショートフィルムっていう25分以内の映画祭があるのですごくラッキーだと思います。毎年それを目標に、賞を取るとか取らないとかっていうこともいったん忘れて、それまでに制作を終わらせる、好きなものを作るっていうのをルーティンにしていきたいです。
新しいものが生まれることを面白そうだと思えることが幸せ~自分が特別なのではなく、集中できれば年代は関係ない~

ー最後に同じくらいの年代でCG制作を始めてみようか迷っている方にメッセージをお願いします。
俺たちの世代って、新しいものを受け入れる人とそんなのっていう人に分かれる世代だと思うんです。流行りのものはどうだとか否定的な人もいる。
そんな中で、少しでもCGに興味を持ったなら騙されたと思ってどっぷりやってみた方がいいと思います。CGだけじゃなく、
新しい世界が広がっていく
気がするんですよね。
新しいものが生まれてくることを面白そうだと思える
人になれたら、それってもう幸せじゃないですか。好きになったらほとんど勝ちだと思います。
若いから覚えがいい、っていうのは違うと思っていて。たぶんこれは俺だけが特別なんじゃなくて、いくつになっても集中できればやれると思うんです。
このぐらいの歳から始めた、っていう仲間ができたら嬉しいので、ぜひ挑戦してみてほしいですね。
\今村さんが通った本科CG/VFX専攻 /
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