本稿はデジタルハリウッドが主催する特別授業『EAT creative program』の内容をカルチャーニュースサイトCINRA.NETがレポートした内容を転載したものです。
人が外に出れば世界は変わる。ナイアンティックの信念がユーザーに与えるもの
2016年にローンチされた『Pokémon GO』は、熱狂をもって迎えられた。多くの人々がこのゲームの虜となり、街中に潜むポケモンを捕獲するために世界中に歩き回っていた。
Googleデザインチームのマネージャーから、当時社内スタートアップであったナイアンティックに移り、『Ingress』『Pokémon GO』などの人気アプリを手がけた川島優志は、世界中の人々に体験を与え、文字通り「動かしてきた」人物だ。UX(ユーザー体験)にフォーカスしたデジタルハリウッド主催の特別授業『EAT creative program』に登壇した川島は、UXという概念をわかりやすく伝えるため、氷山の写真を見せる。
川島 :氷山全体がアプリケーションであるとするなら、水面上に見えるのが「シンプルで見た目が美しい」「印象に残る」といったUI(ユーザーインターフェイス)の部分。しかし、水面下には氷山の大部分が隠れているように、UIの下には大量のユーザー体験が隠れているんです。
川島は、UXデザインにはユーザーの求めに応じるための「寄り添うデザイン」と、ユーザーを変える「導くデザイン」の2種類があると定義する。「導くデザイン」として設計された『Ingress』は全世界で2000万ダウンロードを達成し、『Pokémon GO』に至っては通算8億ダウンロードを記録。『Pokémon GO』のプレイヤーが歩いた距離は、数百億kmにもおよぶと推定されている。
Ingress Year 4
では、なぜ川島はユーザーたちを外へと導き、行動を促すことができたのだろうか? そこには、ナイアンティックCEOであるジョン・ハンケの思いが深く関わっている。
川島 :Googleの副社長としてマップチームを率いていたジョンは、「Google Earth」や「Googleストリートビュー」など、外に出ることなく、スクリーンの前で世界を知ることのできるサービスを作ってきました。ところがある日、ずっとゲームをしている自分の子どもを外に連れ出したいと考たとき、いくら「外に出ろ」と言っても、彼はずっとゲームをしていた。
そんな経験から、本当に大事なことは家のなかで便利になるだけじゃない、世界の素晴らしさを発見し体験してほしいという思いに至り、「人が外に出れば世界は変わる」という発想のもと、ナイアンティックを設立します。
川島 :そして、その思想は『Ingress』や『Pokémon GO』にも貫かれている。普通、テクノロジーは目的地までの最短距離を教えてくれますが、これらのアプリはユーザーにあえて寄り道をさせる。それによって、ユーザーは地域の歴史に気づいたり、これまでになかった小さな出会いを経験したりと、世界を見つめる新しい目を生み出すことができるんです。
道を踏みはずした先で手に入れた、「世界を変える」成功体験
運動障害を引き起こす難病・ギランバレー症候群を患っていたあるユーザーは、『Ingress』をプレイすることによって、1日に2万歩を歩けるまでに病状が改善した。また、『Ingress』ハイレベルユーザーのうち、約30%がこのアプリをきっかけに他のユーザーとのデートを楽しみ、世界中には数多くの「Ingressベビー」が誕生しているという。
さらに、東日本大震災の被災地で行われた『Pokémon GO』のイベントでは、人気ポケモンであるラプラスが出現するというサプライズもあった。宮城県の発表によると、イベント期間中、10万人ものユーザーが県に押し寄せたという。ナイアンティックの「導くデザイン」は、ユーザーを屋外へと導き、人生を変え、地域を変え、世界を変えていったのだ。
だが、川島によれば、そんなナイアンティックの信念は「現在のウェブサービスの本流からはずれている」という。AmazonやGoogleといった「本流」たちが、家を出ることなくワンクリックで完結するサービスを目指しているいま、なぜ、ナイアンティックは「傍流」を選ぶ勇気を持ち得たのだろうか? 授業の後半では、川島の人生経験から、その秘密が語られた。
川島が学生たちに伝えようとしたのは、「道を踏みはずす」という言葉。大学時代に文化祭が無期限中止になったことから、文化祭のかわりとして当時まだ珍しかったCD-ROMを制作し、新入生全員に向けて無料配布していた。500万円以上の制作費がかかり、川島は仲間とともに50万円もの借金を背負ったが、この活動は日経新聞をはじめとするメディアで大きく取り上げられた。
その後、大学を中退しフリーランスとして働いていた彼は単身渡米。そのエピソードは、元Google社員という輝かしい経歴に驚くほどそぐわないものだった……。
川島 :カリフォルニアは常夏のイメージだったので半袖半ズボンで飛行機から降り立ちました。しかし、冬のサンフランシスコはダウンジャケットを着ている人ばかり(笑)。
ビザの制度についても知識がなく、3ヶ月までしか滞在できないことを知らなかったし、そもそも英語も全然話せなかった。まわりからは「お前と面接したときに聞いたプレゼンは、英語が下手すぎて何を言っていたのかわからなかったよ」と、ネタにされました。
場当たり的でみじんの計画性もない川島の渡米経験はまさに「道を踏みはずす」ことそのもの。普通の人なら夢なかばに帰国……というバッドエンドを迎えそうなものだが、彼の持つ強い信念は、そんな無謀な挑戦を成功へと導いた。
川島 :最も大切なのは、まず自分で動くこと。なにかに熱中すれば必ず認めてくれる仲間が現れ、そのつながりから次が生まれてきます。僕も、友人の紹介でGoogleの面接にたどり着きました。
もしも、いま自分が置かれている状況に対して不満があるならば、環境を変えたり、別の環境を生み出したりすることも考えてみてほしい。会社や学校だけがすべてではないし、日本だけがすべてでもありません。自分を信じ、世間の道を踏みはずしていくことによって、自分だけの景色を見ることができるんです。
セミナーの最後には、活発な質疑応答が行われた。なかでも印象的だったのが、「UXとはなにか?」という根本的な本質的な質問に対して川島が行った回答。彼は、「ナイアンティック」でともに働く『Pokémon GO』のリードUXデザイナー・石塚尚之を例に出しながらこう答える。
川島 :UXとは、アプリ上だけでなくそこに関わるすべてをひっくるめた体験を意味します。石塚は、イベントで知り合ったユーザーからもらったバイオカード(『Ingress』ユーザーが作る名刺のようなカード)の一つひとつに、SNS上でコメントを返信する。そんな体験が、ユーザーにとっては『Ingress』のUXの一部となるんです。
『Pokémon GO』は8.5億ダウンロードを達成しましたが、いくらダウンロード数を増やしても、結局は目の前にいる人の体験を高められるかどうかだと思います。ユーザー一人ひとりにあらゆる部署やチームが向き合うことで、世界を変えていくUXが生まれていくんです。
授業終了後にも教室に残り、「ユーザーを飽きさせない工夫」「いま注目しているコンテンツ」など、寄せられた質問のすべてに回答していた川島。これからの時代を作る学生の一人ひとりに対して本気で向き合う彼の熱意は、多くの学生たちの胸に響いていた。
『Pokémon GO』をきっかけに家を飛び出した人々が続出したように、川島の話を聞いて「外に出る」ことを選ぶ人も多いはず。そして、彼らが多くの人を巻き込むような活躍をしたとき、この特別授業で語られた「世界を変える」UXを身をもって実感するだろう。
プロフィール:川島優志氏(Niantic, Inc.)
2007年、Googleにウェブマスターとして入社。日本人として世界で初めてGoogleホリデーロゴをデザイン。2013年、当時社内スタートアップであったNiantic LabsにUX/Visual Designerとして参画し、Ingressのビジュアル及びUXデザインを担当。2015年10月のNiantic, Inc.設立と同時に、アジア統括本部長に就任し、現在はエグゼクティブプロデューサーも兼任する。『ポケモン GO』では、開発プロジェクトの立ち上げを担当した。
https://www.nianticlabs.com/