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デュアルLIFEクリエイターが語る
「2拠点生活を始めたキッカケ」

2018-04-21

こんにちは

デジタルハリウッドの古田です。

2月24日(土)に「2拠点で活躍TokyoとLocalのデュアルLIFE」イベントを開催しました。都心と田舎の2つの拠点で生活をしている3名のクリエイターをお呼びし、デュアルLIFEのお話やお仕事事情をトークいただきました。

本イベントの模様を前編と後半に分けてご紹介!前編では「デュアルLIFEを始めたキッカケ」をレポート!是非、ご覧ください!

イベント開催の背景:2拠点で活躍TokyoとLocalのデュアルLIFEとは?

本イベントは、移住をしたいけれども次の一歩が踏み出せない、そんな方の為にデジタルハリウッド×TURNS(*)が企画する「Tokyo⇔Local Creative 5life&5days」の2回目のイベント。地方と東京を行き来して自分らしい働き方を実践するクリエイターたちを呼び、4つのLIFEをテーマに「未来の働き方」を語りあうDAYをご用意しています。

今回の2DAYのテーマは「デュアルLIFE」。ファシリテーターには、フリーランスクリエイター小菅達矢さん。他3名のゲストは、茨城県、長野県、静岡県とでデュアルLIFEをするクリエイターさん。各3名にデュアルLIFEを始めたキッカケをお話いただきました。

(*)TURNSとは…日本の地域と、地域で働く、暮らすことに関心のある都市部の若者をつなげるメディア

「家族が倒れたときに、私は傍にいれなかった」

ゲストの一人目は、茨城県と東京都を行き来するデザイナー、川井真裕美さん。「皆さん、茨城県知っていますか?実は、関東にあるんですよ~」と会場を温める一声から自己紹介がスタート。美大進学をキッカケに都内でのをスタートし、卒業後はグラフィックデザイナーとして社会人デビュー。多忙極まる生活の中、社会人数年目にして、突然「家族が倒れた」と連絡が入りました。同じ関東圏内でも、すぐに病院に駆けつけることができず、その「もどかしさ」に川井さんは胸を痛める経験をされました。「家族の傍に居たい」その強い想いから、Uターンを考えましたが、地元にはクリエイターとしての経験を活かせる会社がなかなか見つからない…。この経験がデュアルLIFEのキッカケとなりました。

「私みたいに、いつかUターンしたいと思っている茨城県出身の女性が必ずいる。そんな地元民に情報を発信したい」と茨城県出身の都心で働く女性にインタビューを始めたのが、全国フリーペーパー大賞を得ている「茨女」でした。東京に住みながら、茨女の活動をする為に、東京と茨城を行き来する生活がスタート。会社を退職し、起業をしたことも、デュアルLIFEを実践しやすい環境を生み出しました。

今では、家族の傍にいつつ、キャリアも積みながらお仕事をされています。

「東日本大震災がキッカケで、好きなことを仕事にしようと思った

次に、静岡県と長野県、東京都を行き来しながら生活をする松田裕多さん(写真:左)の自己紹介TIME!現在は、地域おこし協力隊(*)とクリエイターの2足の草鞋で生活をされています。

「キッカケは東日本大震災。寝袋が沢山売れていく様を見て、プロダクトの可能性を感じた」松田さんが、とあるアウトドアショップのアルバイトをしていた中、3.11を経験。普段、なかなか買う人が少ない高額な寝袋が、勢いよく売れていく様に衝撃を受けました。「デザインがしっかりと人々の生活の中で求められている、自分もものづくり側になり人々の生活を支えたい」その想いから、地元静岡県を離れ、東京に移住しデザイナーとしての活動をスタートさせました。

*地域おこし協力隊とは…人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらうことを目的とした国の制度

その後、メーカーへ転職しましたが、多忙な日々の中、身体を壊してしまいます。「そこまで働くべきなの?」と疑問に感じ始めたときに偶然出会ったのが、長野県富士見町で仕事を始めた今回のゲスト津田賀央さんでした。その出会いが松田さんの運命の歯車を加速させたといっても過言ではなく、津田さんの働き方・人柄に魅力を感じ、東京を離れ、長野県に移住。

松田さんは、人生の節目におきた「気づき・出会い」によって、デュアルLIFEを始められました。

「30歳は職種の実験、35歳は働き方の実験をしよう」

最後にお話いただいたのは、長野県と東京を行き来しながらデュアルLIFEを実践する津田賀さんです。津田さんは2回の転機を経て、デュアルLIFEをスタートしました。

1回目の転機は、東日本大震災。津田さんは、広告会社に入社し、華やかな広告業界で経験を積んだものの、過度な宣伝表現に少し疲れを感じ始めていた時期。そんな中、大震災が起きました。当たり前にあるものが、いつ何時消えてもおかしくない、そんな現実を真に受け、今まで目を向けようとしていなかった「働き方」を変える選択を選びました。その時の津田さんの年齢は30歳。大手家電メーカーのUXデザイナーに転職し、広告からサービスをつくる側へとシフトし職へ。津田さん曰く「職種の実験」を始めたそうです。

2回目は、ベストセーラーになった「WORKSHIFT」(*) 津田さんは本書を読み、未来の働き方に対するビジョンと今の働き方とに大きな差があると感じたそうです。「ここで数十年働いたらサラリーマンとしては優秀になるけど、そんな未来は思い描いている未来と違う」津田さんは、自分が求める働き方を模索し、現職を続けながらも、次のステップを踏む準備を始めました。

(*)『ワーク・シフト─孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>』リンダ グラットン (著)

そんな模索の中で出会ったのが、長野県富士見町にあるコワーキングスペース&シェアオフィスの「富士見町森のオフィス」。津田さんはこのオフィスに強く惹かれる部分があり、富士見町に企画書を送付。人が働く箱ではなく、地域のハブとして機能する場所に変える提案は、役場の方々に受け入れられ、数日後、津田さんの元へ「ぜひ、やってもらえないか」と連絡が入ります。

週5勤務の正社員生活では、やりたくてもできないと思った津田さんは、思い切った行動に出ます。「給料は半額でいい、週3勤務に変えてほしい」と上司に熱い想いを語った結果、前例のない週3勤務が実現しました。これが「働き方の実験」と津田さん。

驚くべき行動と、周囲を巻き込む力が圧巻ですね。東京と長野を行き来しながら、正社員と富士見町の仕事を両立した後、長野県富士見町に移住をされ、現在は合同会社の代表として「富士見の森のオフィス」運営とデザイナーとして活躍されています。これが津田さんのデュアルLIFEを始めたキッカケでした。

後半レポートは気になる「お仕事事情!」是非、お楽しみに!

以上「デュアルLIFE」の前半レポートが終了しました。後半はお仕事事情。「どうやってお仕事つかんでいるの?」をテーマにレポートします。ぜひ、お楽しみに!

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